二代目竹中組『安東美樹』の経歴とは?逮捕理由や現在まとめ【山口組】

六代目山口組に二代目竹中組が発足されました。 二代目竹中組 組長の安東美樹とはどんな人物なのか?逮捕された理由は?山口組と竹中組の関係とは? ヤクザ社会に衝撃を与えた二代目竹中組 組長・安東美樹誕生の経緯をまとめました。

二代目竹中組『安東美樹』の経歴とは?逮捕理由や現在まとめ【山口組】のイメージ

目次

  1. 六代目山口組 二代目竹中組・組長 安藤美樹
  2. 竹中組と山口組の関係
  3. 安東美樹が竹中組に入るまでの経歴
  4. 山口組と一和会による山一抗争
  5. 二代目竹中組 組長・竹中武
  6. 二代目竹中組(竹中武組長)・組長秘書時代の安藤美樹
  7. 一和会 会長・山本広邸襲撃により指名手配された安東美樹
  8. 逃亡の末ついに逮捕された安東美樹
  9. 山口組と竹中組(竹中武組長)との抗争
  10. 竹中武と安東美樹の関係とは
  11. 安東美樹出所
  12. 六代目山口組の直参組長へ
  13. 竹中組復活の噂
  14. 竹中組復活の理由は山口組分列?
  15. 二代目柴田会から二代目竹中組へ

六代目山口組 二代目竹中組・組長 安藤美樹

六代目山口組 二代目竹中組とは

出典: https://ameblo.jp

2015年、六代目山口組が分裂し神戸山口組が誕生しました。
当時、抗争が始まるのではと世間からの注目を集め、警察も警戒を強めていました。
そんな折、安東美樹が会長を務める二代目柴田会が名称を変更し、六代目山口組 二代目竹中組が生まれました。

六代目山口組の執行部を務める安東美樹の正体

出典: https://www.youtube.com

六代目山口組 二代目竹中組 組長を務める安東美樹は、六代目山口組若頭補佐を務めています。
六代目山口組の組織図を紐解くと、若頭補佐というのは構成員12000人の六代目山口組の中でも10人しかいない役職で、六代目山口組の方針などを決定する意思決定機関である「執行部」のメンバーということです。
なぜ安東美樹は若頭補佐を務めるまでに至ったのか?
なぜ二代目柴田会から二代目竹中組へ名称を変更したのか?
安東美樹の過去から現在に至るまでの経歴や背景を追っていきます。

竹中組と山口組の関係

竹中組の結成

出典: http://www.zakzak.co.jp

竹中組の創始者である竹中正久は、姫路市の農家に生まれました。
難関である旧制姫路市立鷺城中学校(現・姫路市立姫路高等学校)に入学するも父が死亡した頃に退学し、暴力事件などにより逮捕と出所を繰り返すようになり、姫路のヤクザからも一目置かれる存在だったと言われています。
幾度となく逮捕と出所を繰り返したあと、地元姫路の不良をまとめあげ、姫路に本拠地を置く竹中組が誕生しました。
姫路で一目おかれていた竹中組はやがて三代目山口組の田岡一雄から盃をもらい山口組の直参となります。
これをきっかけに山口組 組織図を駆け上がっていきます。

四代目山口組の組長を務めた竹中組 組長・竹中正久

武闘派として数々の抗争で名を上げた竹中組は山口組の中でも存在感がある組となっていました。
そんな折、三代目山口組 組長・田岡一雄、若頭・山本健一が相次いで死亡し、竹中正久が四代目山口組の組長を襲名することになり、組織図が塗り替えられました。
こうして、竹中組は山口組の歴史の中でも非常に重要な組となりました。

安東美樹が竹中組に入るまでの経歴

山口組系の作州連合から竹中組へ

安東美樹は元々、三代目山口組信原組参加の作州連合出身です。
信原組が解散すると作州連合は竹中組に移籍しました。
この頃から徐々に竹中組での地位を高めていきます。

山口組と一和会による山一抗争

四代目山口組 組長の座を巡って抗争へ

三代目山口組 組長・田岡一雄と若頭・山本健一の死亡により後継問題が勃発しました。
山本広と竹中正久が四代目の候補として挙がりました。


最終的に竹中正久が四代目を襲名するのですが、これにより山本広を中心に不満を持った人間が山口組を脱退し一和会を結成し、山口組の組織図は一変することとなります。
そうして山口組と一和会の抗争へと発展していきます。

四代目山口組 組長・竹中正久射殺

出典: http://spysee2.jp

竹中正久が四代目山口組を襲名してからわずか半年後のこと、一和会により竹中正久は射殺されました。
組長を射殺され、激怒した山口組は怒涛の報復をしました。
これにより山一抗争は血で血を洗う抗争へと激化していきます。

二代目竹中組 組長・竹中武

出典: https://www.youtube.com

四代目山口組の組長であると同時に、竹中組 組長でもある竹中正久が死亡したことにより、竹中組は実弟の竹中武が
二代目竹中組として組長を襲名します。
実兄を殺されたということもあり、二代目竹中組は一和系へ執拗な報復を繰り返します。

二代目竹中組(竹中武組長)・組長秘書時代の安藤美樹

出典: https://twitter.com

初代竹中組では竹中組系の一組員でしたが、作州連合の若頭を務めると同時に自らも安東会の会長を務めます。
やがて、二代目竹中組では組長秘書を務めるまでになります。

一和会 会長・山本広邸襲撃により指名手配された安東美樹

一和会 会長・山本広邸襲撃事件

出典: https://ヤクザ.net

二代目竹中組の組長秘書を務めていた安東美樹は自身が会長を務める安東会の組員と一和会 会長である山本広邸を自動小銃や爆弾で襲撃します。
山本広邸を警備していた警察官3人に重傷を負わせるほか、自宅に擲弾を投げつけ指名手配されることになります。

逃亡の末ついに逮捕された安東美樹

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山本広邸を襲撃後、指名手配されていた安東美樹ですが、やがて逮捕されることになります。
警察官に重傷を負わせたことなどにより、出所まで約20年の懲役生活を送ることとなります。

出典: https://ヤクザ.net


逮捕されるまでの間に一和会や各マスコミに一和会を批判する文書を送りつけました。
その内容は、「サラリーマンヤクザで保身ばかり考えているからこういうことになる。男の中の男であれば四代目組長の竹中正久もついていったはずだ。」と、山本広の男気のなさを批判するものだったそうです。
また、逮捕直前には四代目山口組直参の一心会 会長の舎弟となり、竹中組から一心会に移籍することになります。

山口組と竹中組(竹中武組長)との抗争

山口組から抜けた竹中組

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安東美樹が逮捕された後、山口組は一和会の解散と会長である山本広の引退を条件に和解しますが、それに反発した二代目竹中組 組長・の竹中武は山口組を脱退し「竹中組」と名前を改め、独立組織となります。
竹中武の実兄を殺された恨みは深く、解散した一和会への攻撃をやめませんでした。
その結果、和解した山口組としてはメンツが立たないため山口組と竹中組の抗争「山竹抗争」へと発展してきます。

山竹抗争へ

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一和会への怒りが収まらない竹中武は攻撃を続けます。
それにより山口組からも執拗な攻撃を受け、銃撃やトラックを突っ込む、放火などエスカレートしていきます。
警察もその事態を重く見たのか、一和会本部長・松本勝美邸を襲撃した事件により竹中武を逮捕します。
竹中武逮捕から3年後に山本広が病死したことにより、山竹抗争は幕を閉じます。

竹中武と安東美樹の関係とは

安東美樹は竹中組の後継者と指名されていた?

安東美樹が収監されている間、竹中武は安東美樹を後継者と考えているとの発言をしていたとされています。
安東美樹は逮捕直前に竹中組から一心会へ移っていますが、竹中武は出所後に組長を任せ、安東美樹の判断で山口組に戻ってもいいとまで言ったそうです。
その後、竹中武は安東美樹の出所を待たずして亡くなります。

安東美樹出所

逮捕から約20年を経て出所

出典: http://www.sankei.com

山本広邸襲撃から約20年を経て安東美樹は出所しました。
出所後、一心会に所属したまま数年を過ごし山口組を離脱した竹中組へ戻ることはありませんでした。
その後、六代目山口組の直参である柴田会の二代目を継ぐことになります。

六代目山口組の直参組長へ

出典: http://yakuza893.blog.jp

六代目山口組 二代目柴田会会長・安東美樹

出所後、一心会に所属していた安東美樹は六代目山口組 組長・司忍の盃をもらい二代目柴田会の会長となります。
柴田会はの初代会長は元々信原組出身で信原組解散後は竹中組に籍を置いている時期もありました。
そのため、安東美樹も元々縁がある組と言えます。
竹中組が山口組から脱退した際に別組織へと移り、五代目山口組直参となっていました。
そんな流れから安東美樹が二代目柴田会 会長と任命されたのかもしれません。

竹中組復活の噂

「竹中組」という名前の重さ

ここまで書いてきたように、竹中組は現代ヤクザの始祖とも言える三代目山口組で武闘派として名を馳せ、さらに四代目山口組 組長を歴任したということで現在でも軽々しく扱えるものではない名前です。
竹中組は竹中武が亡くなった後、さらに下の弟の竹中正が継ぎますが、2014年に竹中正も亡くなっています。
そんな中、現在でも圧倒的知名度を誇る竹中組が復活するとの噂が流れました。

竹中組復活の理由は山口組分列?

なぜ現在になって竹中組が復活するのか?

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竹中組は現在でも語り継がれるような伝説的な組として圧倒的知名度を誇り、現在のヤクザの中にもファンがいるそうです。
しかし、竹中組は山口組に反発して山口組を離脱しているにも関わらず、なぜ現在になって竹中組が復活することになったのでしょうか。
それは六代目山口組から分列した神戸山口組が発足されたことが理由のようです。

六代目山口組から分列した神戸山口組

出典: https://ヤクザ.net

現在の六代目山口組の組長を務めている司忍は、元々弘道会という名古屋に拠点を置く組織の初代会長です。
六代目山口組の組織図を紐解くと、幹部に弘道会に関わる人物が多数任命されるなど、司忍の側近を置くような組織図となっています。
そんな司忍の方針に反発し山健組を中心に六代目山口組から分列し、神戸山口組を名乗りました。
神戸山口組の中心となっている山健組とは、三代目山口組若頭を務めた山本健が結成し、五代目山口組 組長・渡辺芳則を輩出するなど、現在でもかなりの影響力を持つ組です。
当然、山口組においても影響力を持っていたので、ヤクザ社会の組織図が一変する山健組の脱退はかなりの衝撃を与えました。

自分達が本流であることを主張する神戸山口組

出典: http://livedoor.blogimg.jp

山口組に貢献してきた山健組を中心として設立された神戸山口組は自分達が本流であることを主張します。
分列した神戸山口組は大義名分として「六代目山口組は山口組歴代の組長を冒涜した」との挨拶状を各組織に送付したそうです。
名門である山健組がついている神戸山口組に対抗して、六代目山口組としては名門である竹中組の復活を考えたと言われています。

二代目柴田会から二代目竹中組へ

二代目柴田会の改名

出典: https://twitter.com

竹中組を復活させるにあたって、白羽の矢が立ったのが二代目柴田会 会長の安東美樹でした。
ここまで説明した通り、初代竹中組時代から柴田会、安東美樹ともに竹中組との縁は深いものです。
そこで二代目柴田会から二代目竹中組へと名前を変更することで、現在でも影響力を持つ「竹中組」という名前を復活させ、「山健組」という同じく影響力を持つ名前の組織にぶつけ、六代目山口組こそ本流であると主張しようと考えていると言われています。
これにより山口組組織図の中で安東美樹はより重要なポジションとなります。
今後、六代目山口組の中で安東美樹はどうなっていくのか?
六代目山口組と神戸山口組の動きはどうなるのか?
目が離せない状況が続きます。

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