【プリチャピ遊園地】チェルノブイリ原発事故で廃墟となった街の現在とは?

ウクライナにあるプリピャチという街ご存知でしょうか。プリピャチはチェルノブイリ原発事故によって現在もゴーストタウンとなっている街で、チェルノブイリ原発事故の象徴とされている遊園地が残されています。今回はプリピャチの現在を遊園地や廃墟の画像とともにご紹介します。

【プリチャピ遊園地】チェルノブイリ原発事故で廃墟となった街の現在とは?のイメージ

目次

  1. ゴーストタウンと化したプリピャチ市
  2. チェルノブイリ原発事故の被害が大きかったプリピャチ市
  3. チェルノブイリ原発事故の象徴とされるプリピャチ市の遊園地
  4. チェルノブイリ原発事故とは
  5. チェルノブイリ原発事故で放出された放射線量
  6. チェルノブイリ原発事故で被害の大きかった地域
  7. チェルノブイリ原発事故の現在
  8. プリピャチ市の現在
  9. プリピャチ市遊園地の現在の様子
  10. プリピャチ遊園地は現在もチェルノブイリ原発事故の被害を物語っている

ゴーストタウンと化したプリピャチ市

出典: https://ja.wikipedia.org

プリピャチ市のパノラマ画像

プリピャチ市とはウクライナ北部に位置する街です。1986年、チェルノブイリ原発事故の影響で当時住んでいた人々が非難したため、現在はゴーストタウンと化しています。当時住んでいた人の数は約5万人。そのほとんどがチェルノブイリ原発で働く人とその家族でした。プリピャチ市はチェルノブイリ原発によって成り立っていた街なのです。

チェルノブイリ原発事故の被害が大きかったプリピャチ市

出典: https://ja.wikipedia.org

プリピャチ市の位置。川沿いにある都市ということが画像から分かります。

プリピャチ市からチェルノブイリ原発はドニエプル川の沿岸部にあるチェルノブイリ市にあり、川の名前をとってチェルノブイリ原発となりましたが、ドニエプル川とプリピャチ川が合流する地点に存在するプリピャチ市の方がチェルノブイリ市よりもチェルノブイリ原発に近くになっています。原子の形をした市章を掲げて、原子力を柱にした街の整備が盛んでした。病院やプールといった当時では斬新的な施設が次々に作られました。

出典: http://agora-web.jp

プリピャチ市の廃墟と化した文化施設の画像。

市民には働きに出てきていた若者が多かったため、事故直後から今日に至るまで一次被害者、二次被害者の数は増え続けています。現在ゴーストタウンとなっているプリピャチ市に行くのには現地のツアーに参加する必要があります。放射線量の高い地域が多く、線量計が振り切れてしまうこともあるため立ち入りには短時間であることと慎重な行動が求められます。

チェルノブイリ原発事故の象徴とされるプリピャチ市の遊園地

プリピャチ市はソ連の中でも近代的な都市でしたが、原発事故によって一瞬にしてゴーストタウンと化しました。住民の避難には2日もかからなかったそうです。そんなプリピャチ市には5月1日にオープンする予定だった遊園地がありました。4月に原発事故が起きなければ開園されていたはずの遊園地ですが、とうとう誰にも使われることがないまま現在まで廃墟となっています。このプリピャチ市の遊園地はチェルノブイリ原発事故の象徴ともいわれており、ジャーナリストや写真家によって広く世界に知られていきました。遊園地の中には観覧車やゴーカートなどがあったそうです。寂れた観覧車の写真を見てチェルノブイリを思い起こす人がいるほど有名な遊園地となりました。

出典: http://nichiyu2015.webcrow.jp

観覧車の画像。寂れた様子。

原発事故が起こる前のプリピャチ遊園地と街の様子

プリピャチ市は原子力によって活発に都市の構築が行われてきました。現在残っている写真のほとんどが原発事故以降に撮られたものです。当時の街の様子は住民の記憶の中にしかないのかもしれません。

出典: http://johokan.kyoto-seika.ac.jp

映画『プリピャチ』のフライヤーの画像。
プリピャチについて知りたい人はぜひ。

1999年に公開されたニコラウス・ゲイハルター監督による『プリピャチ』という映画があります。この映画は立ち入り禁止区域の中で生活している人たちに密着したドキュメンタリー作品です。プリピャチ市の様子について知りたい人や現在も住み続けている人の話に興味のある人は観てみると良いかもしれません。

チェルノブイリ原発事故とは

チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日に起きた世界で最も被害の大きい原発事故のひとつです。当時はソ連の管轄するところでしたが現在はウクライナに位置しています。チェルノブイリ原発には1号機から4号機までの4つの原子炉がありました。事件当時、4号炉は保守点検のために稼働が制限されていました。これはイラクのオシラク原子炉がイスラエルによって爆破された事件を受けての訓練でした。しかしこの時、運転ミスにより想定外の低電力状態になりました。そのまま原子炉を停止せず稼働させ続けた結果、冷却装置が不安定であったこともあり、燃料棒が融解し原子炉内に飛び散りました。冷却水を喪失した4号機は瞬間的に臨界状態に達し、チェルノブイリ原発は2度の水蒸気爆発を起こしながら崩壊していきました。

チェルノブイリ原発事故の直後、当時ソ連だったロシアは事故の発生を隠蔽しようとしました。ソ連だった頃のロシアは言論統制などがあり政治的な圧力の強い国家でした。事故の報告を求められたチェルノブイリ原発の所長も国の原発担当大臣も自分の身を守るために事故は軽度であると上層部へ報告していました。その結果、危機感のない封じ込め作業、住民の避難の遅れを招き、何百万という被害者を出すこととなりました。もう少し早くに対応されていたら、プリピャチ市を含めた近隣の街はゴーストタウンにならずにすんだのかもしれません。

チェルノブイリ原発事故で放出された放射線量

出典: http://nichiyu2015.webcrow.jp

石棺の画像。線量計を持っている人。

事件直後、原子炉の近くには線量計が2つありましたが、1つの線量計には爆発のあった4号機に近かったため接近できず、もう1つの線量計は故障していました。線量計が作動せず、確かな情報が入ってこないまま作業を続けて、高濃度の放射線を一度に浴びたときに発生する急性放射線障害で死亡した消防士はブラウンだった瞳が放射線の影響でブルーに変わっていたそうです。このように復旧作業に当たっていた人が集団で浴びた放射線量は約6万シーベルト、プリピャチ市などチェルノブイリ原発の周辺に住んでいた人々に関してはその数も要因となり全体で59万シーベルトの被害があったとされています。

シーベルトは線量計で測れる数値で、実際に浴びた放射線の量ではなく人体への被害の基準となる数字です。一般的な線量計では1000ミリシーベルトしか測ることができません。人が年間に浴びる放射線量は20ミリシーベルトといわれています。それを考えるとチェルノブイリ原発事故によって放出された放射線量が途轍もないものであったことが分かります。

チェルノブイリ原発事故で被害の大きかった地域

チェルノブイリ原発事故によりゴーストタウンとなったのはプリピャチ市だけなのでしょうか。チェルノブイリ原発事故のあるドニエプル川とプリピャチ川付近の都市にはどのような被害があったのでしょうか。

プリピャチ市と同じくウクライナの北部にあるチェルノブイリ地区は現在も少数のお年寄りが住んでいるそうです。放射線量の多い土地であっても故郷を離れたくないという人がいるのでしょう。チェルノブイリ市は完全なゴーストタウンというわけではなさそうです。
近隣の都市で被害が大きかったのはチェルノブイリ原発から半径30キロメートルの地域です。半径30キロメートルは立ち入り禁止区域となっていますが、区域内でも点々と人が住んでいるそうです。原発事故が起こってもその土地に愛着を持っている人がいる限り、完全なゴーストタウンにはならないのです。

チェルノブイリ原発事故の現在

出典: http://nichiyu2015.webcrow.jp

6人の消防士のモニュメント。画像はチェルノブイリ。

チェルノブイリ原発は事故が明るみに出たのち、原子炉内に高い放射線量を持つ物質がかき集められ、翌週ヘリコプターから大量の砂の投下があり、少なからず封じ込めに成功しました。当時は防護服などの高濃度の放射線に対応する設備がなかったため、この封じ込め作業の間に多くの作業員が放射線障害によって亡くなりました。同年11月には原子炉建屋自体がコンクリートに覆われて、事故は収束しました。この時に作られたコンクリートの多いが死者を葬る棺桶のようであったことから現在まで「石棺」と呼ばれています。この石棺の耐久年数は30年だったため、2000年代に入ってからは補修が行われたり、新たな施設がもうけられようとしていたりと事故の後処理が進められています。

プリピャチ市の現在

事故の後、プリピャチ市に住んでいた人々は現在どのように生活しているのでしょうか。プリピャチ市の現在の様子について見ていきましょう。

チェルノブイリ原発事故によって非難したプリピャチ市の人々

プリピャチ市の人々の多くが街の外に避難していきました。ドニプロ川の中流にあるウクライナのキエフ州の中にプリピャチ市の人々の避難村が多数あります。当時原発で作業していた人は優先的にキエフへの非難が許可されました。また、チェルノブイリ原発から東部へ50キロメートルほど離れた所にはスラブチッチというプリピャチ市民の避難用都市が構築されました。
チェルノブイリ原発は2000年の終わりに完全に稼働停止しましたが、現在も廃炉に向けた作業が進められています。この廃炉に向けた作業をする人々は遠く離れたスラブチッチから通ってきているそうです。

現在も原発事故の被害は続いている

原発事故による健康被害は現在も増え続けています。放射線被害には急性放射線障害だけでなく、癌や白血病など事故から何十年も経たないと分からないような症状や親の遺伝によって生じた病気や奇形などの二次被害も含まれています。

原発事故によって現在も残された街

プリピャチ市は完全に無人ではありませんが、市としての役割は停止しており、現在は住所や郵便番号などの割り当てもされておらず、人のいない空間として扱われています。しかし地理上、プリピャチは市は近づきやすいので、観光ツアーのプログラムにも組み込まれています。観光で一時的に訪れることはできるプリピャチ市ですが、プリピャチ市の放射性物質が安全なレベルまで減少するまでには約900年の時間がかかるといわれています。観光であってもプリピャチ市内を訪れる際には線量計が必要です。また、プリピャチ市内の建物の扉は安全上開放されていますが、建物に入ることで年間許容の被曝量を超えてしまう可能性があります。プリピャチ市の見学ツアーの参加には自己責任で行う旨の書類に署名する必要があります。

プリピャチ市遊園地の現在の様子

ここからはプリピャチ市の画像をまとめています。

プリピャチ市遊園地の外観

出典: https://www.google.co.jp

観覧車の他にもゴーカートやメリーゴーランドのようなものも。

出典: http://besobernow-yuima.blogspot.jp

観覧車をバックに調査をする人々。

遊園地内部の現在の様子

出典: http://www.asahi.com

置いてけぼりのゴーカート。

プリピャチ市遊園地の観覧車

出典: http://portal.nifty.com

近くから見た観覧車。

出典: https://abandonedkansai.com

観覧車の屋根が落ちている?

遊園地の外

プリピャチ市に続く廃墟

出典: http://www.asahi.com

廃墟と落書き。

出典: http://portal.nifty.com

工場跡地。

出典: http://www.asahi.com

放置された車両。

出典: https://enoge.org

水の張られていないプール。

出典: https://fr.sputniknews.com

人形と防護マスク。

ホットスポット

出典: https://ja.wikipedia.org

立ち入り禁止区域。

出典: https://jp.sputniknews.com

放射線を表す標識。

現在も振り切れる線量計

出典: http://trip-holic.com

移動には線量計が欠かせない。

プリピャチ遊園地は現在もチェルノブイリ原発事故の被害を物語っている

今回はプリピャチ市とチェルノブイリ原発事故の関係についてご紹介しました。原発事故は一瞬にして街を廃墟にしてしまいます。日本でも起こった原発事故。事故が起きたという事実と被害状況にしっかりと向き合っていかなければならないということをプリピャチ市の遊園地の写真が物語っています。

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