身分制度「えた・ひにん」とは?意味や現在~多い苗字や地域まとめ【穢多非人】のイメージ

身分制度「えた・ひにん」とは?意味や現在~多い苗字や地域まとめ【穢多非人】

「えたひにん」とは?江戸時代にえたひにんが暮らした地域、その地域の現在、そして現在の苗字とは?「えたひにん」の苗字、その意味とは?現在も存在するあの職業の職業姓という意味があった。厳しい身分差別を受けた「えたひにん」の生活とは。2017年08月20日更新

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「えたひにん」とは?

えたひにんとは、身分制度のなかの身分の名称、その意味

出典: http://1000ya.isis.ne.jp

「穢多非人(えたひにん)」とはなにか。

穢多・非人(えた・ひにん)は身分の名称であり、江戸時代に身分上の厳しい差別を受け生活をしたひとびとのことである。「部落差別」という言葉の「部落」の概念ともされている。

これは穢多非人(えたひにん)の「穢多(えた)」と称された賤民の生活した地域や、その集落を「被差別部落民」と呼んだことから、西日本などで「被差別部落」を「部落」と呼ぶことから定着した言葉だとされている。

地域により、差別的発言という先入観はNG。山間部地域では使われる。

が、現在も地域のなかの「集落」の意味として山間部では常用されているので、「差別用語」だという先入観をもつことは懸念すべきであるともいわれる。

出典: http://www.rose.ne.jp

「えたひにん」の身分制度とは

士農工商穢多非人(しのうこうしょうえたひにん)とは、江戸時代の身分制度

出典: https://ja.wikipedia.org

穢多(えた)

では、「穢多非人(えたひにん)」が含まれる身分制度とは何なのか。

それは「士・農工商・穢多非人(しのうこうしょうえたひにん)」と言われる、江戸時代の封建社会の身分制度である。階級社会の社会的秩序を維持・強化するために作られ、江戸時代に入り、よりいっそう徹底された差別的身分制度とされる。そのなかの封建的身分のなかに、穢多・非人(えたひにん)があったとされる。

士農工商の四身分の下位として、穢多非人(えたひにん)を主とする賤民身分が存在したのである。

「賤民」の意味

賤民:一般の民衆よりも下位に置かれた身分や、その者のこと

出典: https://ja.wikipedia.org

非人(ひにん)

「えたひにん」の生活とは?生活した地域

「えたひにん」の生活、その差別や制約

士農工商穢多非人(しのこうしょうえたひにん)の階級・身分制度が江戸時代に確立されると、人々の生活には貧富の差が顕著に分かれ始めた。

穢多・非人(えたひにん)には「祭事厳禁」の慣習が義務付けられる。神社で執り行われる祭事などの神聖な催しには、神が汚されるとされて参加はもちろんのこと、祝うこと悲しむことも禁止とされたのが穢多非人(えたひにん)だ。仕事や住居などの生活にも制約があり、沼地や山奥に潜み生活することしかできず、墓も墓石は土の下に隠さなければならなかった。

出典: https://ja.wikipedia.org

士農工商

「えたひにん」の職業とは?苗字の由来であるのは職業姓という意味があった

「えたひにん」の職業は現在も存在する「革産業」苗字はここから決まった

出典: https://ja.wikipedia.org

穢多(えた)の仕事

では穢多非人(えたひにん)のひとびとはどのような仕事をしていたのか。あるいは、どのような仕事が与えられたのだろうか。

穢多非人(えたひにん)の人々の仕事としては、

穢多(えた)の仕事は、農民が捨てた病死した牛馬を回収して処理をし、その肉を食べて生活し、その牛馬の獣皮の加工などを行い革製品の仕事を営む。また刑吏、捕吏などの下級警察のような仕事や、草履づくり、販売などをしていたとされる。

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穢多(えた)

非人(ひにん)の職業、その身分名称の意味

非人(ひにん)の仕事は、溜御用(無宿者のための病監や収容所の管理)・牢屋敷への詰番、囚人送迎・罪人の仕置きの仕事、刑場の管理といった仕事だ。また、乞食を排除する目的で「番非人」や「非人番」として雇われたとされている。

非人(ひにん)の仕事は現在のアングラの意味と同義

穢多非人(えたひにん)のひとびとは、言ってしまえば上の身分の者の不浄物、いらないもの(物、人)の処理が仕事であった。現在でいう、アンダーグラウンドという言葉でも表現に軽みが出てしまうほどの、ほんとうの「下」の仕事をするのが、江戸時代の差別社会の賤民の役目であり、生活するための仕事であったのだ。

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部落(同和)問題

高村薫著書「レディージョーカー」には、部落問題について書かれている

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明治維新

明治維新の「身分解放令」にて穢多非人(えたひにん)の身分は廃止されたが、その後も差別と偏見は残る。

「えたひにん」の穢多・非人、その名称の意味とは

「えたひにん」(穢多・非人)それぞれの名称の由来と意味

出典: http://blog.goo.ne.jp

餌取(えとり)

穢多非人(えたひにん)の穢多(えた)の名の由来や語源としては「鷹の餌取(えとり)」という説が専ら謳われるが、根拠ははっきりとされていない。が、江戸時代には屍体処理を行うひとびとに「餌取」という職業があり、これは屍体を鷹の餌として取り処理をする仕事であり、「餌取(えとり)」という言葉と「穢れ」の意味が合わさって「穢多(えた)」という称が使われたとされている。

出典: https://matome.naver.jp

鷹の餌取(たかのえとり)

「えたひにん」「穢多」と「非人」の違い、その意味

「穢多」「非人」は姓(苗字)の別称、その意味

南北朝時代から「卑賎(低身分)」の意味である「穢多(えた)」の字があてられたとされている。

「橘逸勢」も、苗字(姓)を改め「非人」へ

穢多非人(えたひにん)の非人(ひにん)については、橘逸勢(たちばなのはやなり:平安時代の書家・貴族。空海、嵯峨天皇との三筆とされる)が仁明天皇から謀反人であるとされ包囲されたのち、橘逸勢は重罰を受け姓を「非人」に改めたこと、また農地から逃げ出し人別帖から除かれた人も「非人」と呼ばれ、身分制度から離脱した人を総じて「非人」と名分けしたとされる。

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橘逸勢(左)

空海、嵯峨天皇に並び三筆の書家とされた

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伝 橘逸勢筆 伊都内親王願文

橘逸勢の書物

江戸時代に確立されたこの身分制度。士農工商は官吏・農民・職人・商人という「四民」とされ「民」の職業を大きく四分別する概念の身分制度となる。

「えたひにん」賤民のなかでもその違いとは?身分がわかれている意味

では穢多(えた)と非人(ひにん)の違いとは何か。

同じくして「賤民」だと差別を受けた穢多(えた)と非人(ひにん)には違いがある。

穢多(えた)と非人(ひにん)の違いとしては、まず、その名称だ。「非人」は元来「人非人」つまり「世捨て人」のことを指し、そしてやがて「賤民」(貧しいひと)を指すようになり「穢多」と混称されるようになるが、江戸時代に入り「非人」と「穢多」は厳しく分けられると、「非人」は「良民・平民」のなりさがりの位置づけとなり、「銭」を少し支払うことで良民・平民への復帰路が用意されていた。

穢多が最下位身分の意味とは?仏教に背いた行いをしたから

どうして穢多(えた)と非人(ひにん)に違いが生まれたのか。
端的な話、非人(ひにん)は「罪」を犯したことで身分が落下した者。なので「銭」を納めて平民へと戻ることができる。対して穢多(えた)の違いは、牛馬(動物)を解体加工処理するという、仏教の教えに背いた行為で生活をする民なので差別の対象、そして、最下位の身分となったとされる。これが穢多(えた)と非人(ひにん)の違いなのだ。

「非人」には二種類の立場と意味がある

ちなみに「非人」には二種類あり、「抱非人(かかえひにん)」と「野非人(のひにん)」とに分けられていた。

「野非人(のひにん)」とは?

「野非人(のひにん)」とは、現代で言われるいわば「路上生活者」「ホームレス」のことである。これは農村部で病などにより年貢を納めることが不可能となった者が江戸へと流れ入った、「無宿者」であった。この者たちを特定の区域で生活させたが、これはのちに「無宿狩り」の引き金となることになる。

「抱非人(かかえひにん)」とは?

「抱非人(かかえひにん)」とは、
(1)姉妹、叔母、姪と密通(不倫)をした者

(2)相対死(男女の心中)で生き残った者

(3)主人と下女の心中で生き残った主人

(4)15歳未満、無宿の子供で盗みをした者

非人が支払う「銭」は、現在でいう「釈放金」

このような罪を犯した「抱非人(かかえひにん)」ならば、家族などの親類縁者が「銭」を支払うことで「平民」に戻ることができた。現代の「釈放金」と同じようなものである。

そして非人(ひにん)は、生計をたてるための「物貰い」「物乞い」や遊芸をするなどの独占権利を持つことや、復帰路の用意などと優遇されることで「穢多」との違いを設けられ、「穢多」よりも上の位に置かれていた。これも穢多(えた)と非人(ひにん)との違いである。また江戸時代には、非人(ひにん)以外の身分の者が「物乞い」を行うとそれが罪とされた。

「穢多」と「非人」最大の違いとは

そして、穢多(えた)と非人(ひにん)との最大の違いとは、「非人(ひにん)」よりも下位とされた「穢多(えた)」のひとびとは、「何を行っても」一生涯「平人(庶民)」に復帰することはできなかったのである。

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おなじ人間として生まれても「差別」で人生は変わってしまう

「賤民」の生活は厳しいものであった

穢多(えた)と非人(ひにん)の違いを挙げたが、穢多と非人に違いがないことはひとつある。生活だ。穢多非人(えたひにん)の送った生活は、「死」や「罰」に限りなく近い生活なのだ。

穢多(えた)は上の身分の者が不要とした牛馬の屍体を解体処理し革産業で生活を送り、非人(ひにん)は上の身分の者が不要とした罪人や無宿者や囚人の世話で生活を送った。同じ人間として生まれても、下位の役割が与えられ、差別を受けたひとびとの生活が哀しいもののそばに追いやられたことに違いはない。

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穢多非人(えたひにん)の位置づけ

「えたひにん」の差別の現在

「えたひにん」の現在は?地域や苗字で現在も続いている差別

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では「穢多非人(えたひにん)」のひとびとの差別とは現在はどうであるのか。
身分上の差別自体は、明治時代に入ると「身分解放令」により身分制度は廃止となった。が、身分制度の廃止が決定され四民平等が謳われた明治時代以降も「穢多非人(えたひにん)」には「新平民」という形で差別はのこり、それからも平成の現代までは長い年月が経過をした現在においても、社会的偏見、不当な差別は現在もなお残っており、現在も偏見や差別の解消に向けての運動は続いている。

地域、苗字、現在までと「えたひにん」についての著書は数多い

出典: http://blog.livedoor.jp

穢多非人(えたひにん)について書かれた書物は多く存在する

出典: https://www.amazon.co.jp

出典: http://tottoriloop.miya.be

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「えたひにん」穢多の革産業の職業姓、別姓が現在の苗字へ

地域に残る部落を記した地図(現在の大阪)

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穢多非人のひとびとが暮らした集落(部落)。この地図は、現在の大阪とされる。

苗字を変えて生きるひとびとがいる。苗字から部落差別を受けてしまう現実

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穢多(えた)

牛馬(動物)の毛皮を処理する集団であった。

現代を生きるひとのなかには、祖父母と苗字の漢字に違いがあるというひともいる。

これは戸籍や苗字自体は同じでも苗字の字を改めたことであるとされる。
江戸時代での「穢多」出身の家系を「部落」や「同和」というように称して言われており、例えば「川〇」の姓であるひとの先祖は「皮〇」「革〇」であった、というように、穢多の関西などの地域における別称であり、穢多の職業である革(皮)産業から由来する職業姓の苗字とされ、これを現代では「川〇」に改変している、という家系も存在する。

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「天狗草紙」

「穢多童」が鳥を殺している絵図

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「えたひにん」その地域とは?現在のあの有名地

では「穢多非人(えたひにん)」の差別的身分制度のなかにいたひとびとは、江戸時代の当時、どの地域で暮らしていたのか。それは西日本地域であり、都道府県で福岡県、広島県、愛媛県には、それぞれ400を越える同和地区が現在も残る。

次いで名が挙がる地域は、身分制度と被差別部落の歴史が色濃く残る、わたしたちが観光地としてよく知るあの「京都」だ。

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京都 清水寺

古都京都の文化財「清水寺」

「えたひにん」どうして西日本の地域に?

どうして西日本や関西の地域、そして京都に被差別部落が多いのか。

それは長い歴史をもつ京都、すなわち京都からの遷都が行われる前の天皇の存在が、江戸時代の京都の中心にあったからだとされる。聖なる天皇の逆概念である「賤民」や「穢れ」が江戸時代の京都では厳しく意識された結果、貴族層を中心とした「穢れ」への偏見が、西日本、関西の地域、京都で生まれたことが被差別部落や穢多非人(えたひにん)の身分制度の起因ともされている。

だが、なにも京都のひとびとすべてが差別的な行為をした、というわけではないからこそ、現在も歴史の名残で京都の地域のひとびとは無関係ではない葛藤を抱くひとびとが多く存在しているのが現在も続く現実である。

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京都の仙洞御所

現在の京都は歴史が深く残る地域

現在は華やかな印象が強く、遠くからもひとが集まる京都。京都には寺社などの形として残った歴史はもちろんのこと、神聖なる地域故に差別で苦しんだひとびとが生きてきた歴史がのこる地域でもある。京都は日本人にとっての観光名所であり、海外からも観光客が押し寄せる。京都の寺社仏閣は由緒ある聖なる地であるが、その京都の寺の庭を造るときに、穢多非人(えたひにん)は大きく関わったとされており、古くの身分制度や歴史的背景を知ることで、美しいだけではないのだと、より深く京都の街や地域を感慨深く見つめることができるのではないだろうか。

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西日本地域だけではない。東京にも当然存在する

被差別部落が存在したのは西日本に限定されたことではない。

東京にもある。全国に点在し、ひとびとが生活をしていた場所には存在する。なので、もちろん東京にも存在するのだ。

出典: http://blog.goo.ne.jp

長州藩の『防長風土注進案』

「穢多村」の記載がある

関東の地域にも現在も多く存在する「同和地区」

現在で確認されている東京の部落の数は、東京都の行政は東京都議会で「東京都内の部落数は234地区」と答弁したことや、『東日本の被差別部落』という書籍には「東京都の被差別部落数は248地区」であると記載されていることなど、東京にも多くの部落が存在することが記録として残っている。東京都のなかでも部落数が多い地域は八王子、青海などが記録されている。

出典: http://kotora888.art-studio.cc

西日本が多くを占める

地域と苗字で「元部落」だと判断するひとも存在する

東京のなかでも都心部においては現在は原型を無くし、発展故に部落の跡形も残っていないと言われる。東京の都心部には、地方に比べると高齢の方が生活している世帯が少ないため、東京の中心、都市部で現代を生きている若者たちにとっては近い存在や問題ではないように感じている者が多いとされるのだろうが、高齢の方や歴史的知識に詳しい方、実際に偏見や差別を受けた方…、とかく、なかには苗字と出身地で「元部落」だとわかるというひとも居るようだ。

対して、例えば差別や偏見を持たないひとにとっては「だから何だ」ということになる。『「元部落」だから、だからといってその人はその人で、人間は決まらない』という考えをもつひとも居れば、逆を言うひとも居るのだ。例えば厳しい差別意識が残る高齢の方たちに言わせれば、近所の何処に同和地区があると把握していて、そこに暮らす苗字で偏見の眼差しを向けるひとも居る。何が正しいことなのかは正直、そのひとのなかに各々存在していることなので、どの歴史も遡ると差別は必ず過去に起きているのだ。そして現在も、現代のなかで差別は消えるものではない。主張があれば差別はついてまわるものだ。

地域や苗字をもとに差別するということ

地域や苗字から部落差別の対象になってしまう現実

歴史を振り返ると、差別はつきものなのだと知るわたしたち現代人は「ひとは生まれながら平等であるべきだ」「こんなひどいことをするなんて」と感じたり、あるいは「差別があっても当然のことだ」「身分や階級で生活も仕事も変わるのは仕方ない」などと、おそらく、いろいろな考え方が今日も混在している。権力や思想が上へ上へと昇りつめかたまっていけば、世の中ごとひっくり返るように変化するのは歴史上何度も起こり、現在も現代で実際に起こっている。そうして繰り返していく日々を、わたしたちは生きている。過去の歴史のなかを先祖も生き抜いてきたからこそ、このように代々と「語られてきた」ものが山のようにあり、わたしたちはそれを知り、また考え、何かにつなげ、また「語り継いで」いく。それが大きな流れとして「歴史」というものになるのだろうか。ひとつの歴史を知ることで、ものの見方が少し変わってくるように感じたりもするものだ。

出典: http://blog.goo.ne.jp

部落差別と天皇制は、いまもなお問題視されている

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