【性の歴史】江戸時代のセックスはスゴかった。縄文~江戸の性生活まとめのイメージ

【性の歴史】江戸時代のセックスはスゴかった。縄文~江戸の性生活まとめ

縄文時代から始まり江戸時代のセックスとは一体どんな物だったのでしょうか?今回は縄文人の性に対する知識や考え方、昔の人はどんな風に性の知識を習得したのか、またセックスの歴史、江戸時代の女性達や遊女達の性の歴史をご紹介したいと思います。2017年07月28日更新

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縄文時代~江戸時代まで、性生活の歴史とは

出典: http://web.joumon.jp.net/blog/2010/04/1053.html

大昔の縄文時代の歴史からはじめ、江戸時代までの性生活の歴史とは一体どんな風に移り変わったのでしょう。歴史が変わっていくと共に、性生活の考え方が変わっていくその歴史の様子をご紹介していきたいと思います。

性行為、縄文時代から既にその歴史は存在していた

出典: http://koro-clinic.com/takarabako/joumon/zatuwa2/

縄文時代の人達の歴史は、性行為を生き残る為にしていたと言われています。またこの時代は避妊をすると言う認識がほとんどなく、日常的に縄文時代の人達は子孫を残すためセックスを沢山していました。もし子供が出来ても出産後にすぐに亡くなってしまう事も多く、生き残ったとしても短命だった事からセックスをし、子供を沢山産み子孫が途絶えないようにする事に必死だったのです。

縄文時代の人達はどんな風にセックスを覚えたのか

出典: http://jomon-japan.jp/kids/see/outline/

昔の人達の性生活の歴史は、主に野外で行われていたと言われています。縄文時代の人達の時代は、現代の様に電気の様な明かりがありません。自分達が起こした火を頼りに夜を生活していましたが、暗くなると動物も多くみられていたので、安全と言われる環境ではありませんでした。そうなると自然とセックスを行うのは昼間の明るいうちだったと言われています。昔の人達には、現代の人の様にセックスにおいて羞恥心がありません。なので人前でセックスをするのは当たり前だったのです。そして周りのセックスを目の当たりにしながら昔の人達は自然とセックスを学習していったのです。

縄文時代の人達は短命だった

出典: http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/tp.php?id=79

縄文時代の平均寿命は男女共々15歳だといわれています。これは乳児の死亡率がとても高かった事と、今の時代と比べて医療技術もない時代で、女性が出産の時に命を落とす危険性もあったと言われています。

縄文時代のセックスの歴史

出典: http://cmo.hatenadiary.jp/entry/2015/10/21/%E3%80%90%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%85%A5%E9%96%80%E3%80%91%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E6%99%82%E4%BB%A3%EF%BC%81%EF%BC%9F

縄文時代と言えば、貝塚や土器などを思い浮かべますよね。現代の様に機器の復旧もしていない時代で土器などを作りあげていた昔の人の性生活とはどんなものだったのでしょうか。避妊などの知識はないも等しかったですが、実は昔の人達はセックスの技術がとても長けていたと言われています。
現代のセックスをする時間は、およそ一時間程度に満たないと言われています。特に長い人だったとしても二時間まで、しかし昔の人達のセックスに及ぶ時間はなんと一晩だったそうです。

縄文時代の男性はセックスの時、オーガズムをコントロールできていた!!

縄文時代の人達はセックスにおいて、とてもタフでテクニシャンだったと言われています。昔の人は現代の人達よりずっと体力があり、一度性行為をし始めると一晩中セックスをする事が出来ていました。その間、男性はセックスの絶頂をコントロール出来、女性はセックスの間、自在にオーガズムをコントロール出来ていた事から、一晩中セックスをする事が出来ていたのでしょう。

原始人の性生活の歴史

出典: http://www.istockphoto.com/jp/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88/%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%A7%8B%E4%BA%BA

原始人と言えば、アニメに出てきていたり、カップヌードルのCMのキャラクターなどにも原始人が起用されていたりと、今尚、原始人と言う言葉は残っています。原始人が存在していた旧石器時代には、性生活は食べるや寝る事ことと同じで本能のままにしているものでした。今では当たり前にある「夫婦」の形や「結婚」と言った概念には原始人の時代になく、特定の相手を持たなかったといわれています。原始人は現代の様に各々の住居もなく集団で生活していました。なので男性と女性の原始人の集団が本能のおもむくままにセックスをしていたと見られ、原始人の時代には人間と言うより、動物に近い存在であって、そこに秩序などはなかった可能性は高いと思われている。

遊女達の歴史 吉原遊郭

出典: http://www.web-nihongo.com/edo/ed_p023/

現在の東京都の東区に位置するこの場所は、今は昔、吉原遊郭として幕府公認の遊郭街があった歴史ある場所だったのです。江戸時代日本には幕府公認の遊郭街、吉原遊郭(江戸)、島原遊郭(京都)、新町(大阪)の3つ遊郭があり、三大遊郭と呼ばれていた歴史があります。

江戸時代の歴史に存在していた遊女

出典: http://mag.japaaan.com/archives/53770

江戸時代に存在した、遊女(ゆうじょ、又はあそびめと呼ぶ)は、遊郭や宿場で男性に性的サービスをする女性のことである。江戸時代の遊郭の遊女の中には位があり、最高位の遊女を太夫(たゆう)と読んだ。江戸時代の吉原遊郭では太夫が消滅した宝暦以降は高級遊女を花魁(おいらん)といいました。

江戸時代、遊女の歴史

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E9%AD%81

江戸時代の吉原遊郭と言えば、歌の歌詞や映画にも出てくるほど有名であり、最盛期の吉原には数千人と言う遊女が存在していました。遊女になるために売られてくる娘達の平均年齢は5歳から8歳、大きくて10歳ほどの娘が身売りされてきていました。江戸時代では、親の借金を背負ったために遊郭へ売り飛ばされる事も日常茶飯事でした。

新造は「水揚げ」の儀式をしなければならなく、新造の相手をするのは、妓楼が依頼した裕福な育ちである男性である事が多かったといわれています。
※水揚げ……初体験。

遊女の中でもトップクラスだった花魁は待遇も別格と言われていました。花魁には誰もがなれるわけじゃなかったそうです。花魁になるためには美貌、教養、書、芸事などがきちんと出来てからこそだったといいます。そして花魁ともなれば部屋ひとつをとっても豪華な個室をもらう事が出来たと言います。花魁は引手茶屋を通し、呼び出さなければならならず、有名な花魁道中とは呼び出された花魁が禿や振袖新造を従えて遊女屋と揚屋・引手茶屋の間を行き来することをそう呼んだ。

江戸の高級遊女「花魁」の歴史

出典: http://best-times.jp/articles/-/2725

江戸時代の遊女の中でも高級と言われる花魁は、新造と呼ばれる下級遊女とは待遇も全然違っていた。人気の花魁の馴染みになるのは最低3回は通う必要があったと言われています。なので馴染みの客になるのは大抵大名クラスの武士や豪商、歌舞伎役者などの富裕層の男性だったと言われています。
江戸時代の花魁を指名するには、「初会」「裏」「馴染み」と言われる道を通って行く事が一般的でした。初会と言われる席では、花魁は客はしゃべるどころか目も合わせません。次回の裏は裏を返すと言う意味であり、その遊女を選べば、他の遊女と浮気をしないと言う筋を通すという言葉です。そして馴染みになると、客は床花と言うご祝儀を用意する必要があります。そこを通れば花魁は自室を持っていますので、そこに通される事を許されます。そしてようやく花魁と床につくことが出来るようになるのです。

遊女の育成

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%BF

華やかな衣装に身を包んでいる遊女達を見ると華やかな世界に見えますが、遊女達はとても過酷な場に身を置かれていたのです。遊女のほとんどは借金のカタに売られてきた娘達ばかりであり、逃げる事など出来るはずなかったのです。遊郭に売られてしまった幼女はまずは「禿」かむろとして遊女の一歩を進んでいきます。禿はだいたい15歳までの少女であり、先輩遊女である花魁の身の回りの世話や雑用をしながら、吉原や妓楼のしきたりを学んでいきます。それと同時に遊女になるための読み、書きなどの教養を学んでいきます。遊女の年季は27歳です。つまり27歳を向かえれば自由の身になれると言う事です。ですがこれはあくまで原則であり、晴れて遊女が自由の身になるのはとても困難な事でした。

江戸の街、遊女達のセックスの避妊

出典: http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/yoshiwara.htm

一日に何人もの男とセックスをする江戸時代の遊女達には避妊具が復旧していなく、妊娠する事は当たり前の事だったと言われています。しかし江戸時代の遊女が出産をする事は遊郭の中では原則で禁止とされていました。江戸時代の遊女達はほとんど避妊効果がなかったものの和紙を自分の膣の中に入れてセックスの合間、避妊具の代わりにしていたと言われています。江戸時代の女性達にはそもそも下着がありませんでした。そこで江戸時代の女性が下着代わりにしていた物が湯文字(ゆもじ)と呼ばれる四角い布でした。湯文字には紐がついており、江戸時代の女性はそれを腰に巻きつけ、巻きスカートの様にしていたのです。もしうっかり捲れてしまったも陰部が見えてしまわないように、江戸時代の女性は下後の4箇所におもりをつけるなど知恵を使っていました。

江戸時代 セックスの時、避妊はどうしていたのか

出典: http://inoues.net/club9/shunga.html

江戸時代では、武士の身分の高い家や、大手の商人の家に産まれてきた娘は恋愛の自由がなかったに等しかったのです。江戸時代には、お金持ちの女性達は、結婚の前に春画を見せられ、性教育を受けてセックスはどんな物なのかと言う知識を得ていました。

今は当たり前にあるセックスの避妊具「コンドーム」ですが、江戸時代にもコンドームの役割をしていたものはありました。茎袋(きょうたい)と言われているオランダからの舶来品です。見た目はコンドームにそっくりでしたが、江戸時代の様な昔の人にとっては値段も高く、セックスの時に避妊をしたいと思うも、一般的にはなかなか手に入らないものでした。

平安時代の女性の過酷な性生活

出典: http://wtfm.exblog.jp/15568530/

平安時代は、非常に貧富の差が激しかったと言われています。平安時代には実は既に「売春宿」というものがあったと言われ、貧困ゆえ商品がないと女性は物々交換として身体で支払う事もあり、性行為をしながらも避妊にたいする対策はなかったと言われています。平安時代は女性には大変つらい時代だったのです。

平安時代の出会い

出典: http://www.heianjidai.com/

平安時代の人達の出会いの場は、主に「職場」だったと言われています。平安時代の女性達にとってセックスは恋愛の最初の通り道だと言われていました。本気のデートを重ねるのは、セックスを試してみてからでも十分だと言う認識だったのです。平安時代の女性にとっては、顔を見せると言うことはセックスをするよりもよっぽど恥ずかしい事だったのです。平安時代の貴族の女性は、長い髪を長く、そして美しくするためにはお金を惜しみません。それは一朝一夕には効果が出せないものだというのが分かっているからこそだったのです。

平安時代は夜這いが常識?!

出典: http://www.heianjidai.com/kokufuubunka.html

平安時代の歴史は、縄文時代と比べて少し平均寿命が延び、その年齢は30歳前後だと言われています。
平安時代の歴史の中では、あまり女性が外で顔を見せると言う事がなかった様です。そこで平安時代に活躍したのが恋文です。男性から送られる文を頼りに連絡を取り合い、夜這いを重ねていたようです。平安時代は、顔や性格の相性よりも性生活の相性を大事にしていたようで、セックスの相性の良し悪しで結婚を決めていたと言われています。なので平安時代の女性はセックスのテクニック磨きに非常に力を入れていたと言われています。男性のどこが気持ちいいのか、どんな風にすれば飽きられず夜這いに通ってもらえるのか、そんな切実な思いを平安時代の女性は抱きながら、自分の腕を磨いていました。平安時代は、性生活におき、そもそもキスと言う行為があまり主流ではなかったとされています。セックスはキスからではなく即挿入と言う流れが一般的に多かったと言われています。

セックスにまつわる事が書いてある医心方

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本来は医学書であるにも関わらずセックスの事ばかり書いてあると言われている医心方。これにはセックスの体位やテクニックが細かく書かれており、平安時代の人々はこの本をセックスの教科書にしていました。

戦国時代の女性達

出典: http://www.worldwide-transition.info/muromati/sengoku/sengokujidai.html

戦国時代と言えば、姫である女性は政略結婚の駒にされる運命であり、戦で負けてしまった領地の女性などは敵軍に犯されてしまう事は当たり前の事でした。戦国時代では出陣するのは男性ばかりではありません。人手不足の時代であり女性も多く戦に関わっていたのです。また戦国時代の歴史の中では女性が活躍する「くの一」と言う女忍者は性行為を用いて男を翻弄する作戦も日常にある事でした。戦国時代には女性の事を不浄と言われていた時代であり戦の出陣3日前には性行為は禁止されていました。しかしそんな性行為禁止令もいざ出陣をしてしまえば解かれます。戦国時代ともなれば戦場ばかり、そんな時に出てくるのが女性の性行為の出張サービスと言われるものでした。

お姫様の政略結婚

出典: https://www.pinterest.se/japanwebmag/history/

お姫様が政略結婚で嫁ぐことになった後、重要な任務があったとされています。戦が多かったこの時代の歴史の中では、姫様を利用しながら嫁ぎ先の情報を入手すると言う重大で大切な役割りがあったといいます。

御陣女郎

御陣女郎、後に言う「売春婦」の歴史は戦国時代ではいつ戦士してもおかしくない状況であり、自分がいる死ぬか分からない精神状態の兵士達をもてなす為に、各地へ赴いていた。戦の前にセックスで使い物にならなくなってはいけないために、戦国時代ではセックスの管理は重要な事柄の一つであったといいます。

まとめ

出典: http://blog.livedoor.jp/tomtoms2004/archives/51180615.html

いかがでしょうか。縄文時代の歴史からはじまり、江戸時代など、変わっていく様子がお分かりいただけたでしょうか。時代が移り変わっても変わらないものもあれば、むしろ昔の人達の方がはるかにテクニックを持っていたりと様々な性の歴史の事が分かりましたね。これからも変化をもたらしながらも性教育の事柄を正しく受け継いでいきたいですね。

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