【雑学】意外と知られていないマヨネーズの歴史とは!?

よく食卓を囲む調味料、マヨネーズ。 巷ではマヨラーと呼ばれるマヨネーズをどんな料理にもかける人たちがいるほど、人々を魅了する調味料です。 そんな人々を魅了する調味料であるマヨネーズの歴史をあなたはご存知でしょうか 今回は、意外に知られていないマヨネーズの歴史を紹介致します。

【雑学】意外と知られていないマヨネーズの歴史とは!?のイメージ

目次

  1. そもそもマヨネーズとは?
  2. 【マヨネーズの歴史】発祥の地はどこか?
  3. 【マヨネーズの歴史】フランス国内で認知されてから商品化まで
  4. 【マヨネーズの歴史】安価に大量生産されるまで
  5. 【マヨネーズの歴史】マヨネーズが日本で流行るまで
  6. 【マヨネーズの歴史】まとめ

そもそもマヨネーズとは?

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そもそもマヨネーズとは食用油・酢・卵を主材料とした半固体状ドレッシングです。
卵は卵黄のみ使用するものと全卵を使用する2タイプに分けることができます。

卵黄だけを使ったマヨネーズはコクが出るため、味も美味しくなりますが手間もかかります。そのため一般的に見ると、全卵を使用したマヨネーズが市販されています。

シンプルな作りのため、食用油をオリーブオイルに変えたマヨネーズやワインビネガーを使ったマヨネーズなど油、酢などを変更することで味にバリエーションを出しています。

一般的にはカロリーが高く、体に悪い調味料の印象ですが、マヨネーズにはビタミン類も豊富に含まれています。

また、カロリーが高いということはそれだけエネルギーに変換できるので、登山家にとっては大事な携行色として扱われています。

【マヨネーズの歴史】発祥の地はどこか?

出典: http://beachresorteurope.hatenablog.com

マヨネーズの語源として有名な説はスペイン領であるマヨルカ島から来たと言われています。
もともと18世紀半ばの7年戦争に遡ります。
当時、ハプスブルク家がプロイセン王国(今のドイツやポーランドのあたりを領土とした国
から支配地を奪おうとしたことが起因で始まった戦争です。
ここに植民地問題で揉めていたイギリス、フランスなどが参加し、ヨーロッパ全域に広りました。

この戦争でフランスのルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ(リシュリュー公爵)がマヨルカ島(当時はイギリス領)へ攻撃を仕掛けます(ミノルカ島の海戦)。
サン=フェリペ要塞に立籠もるイギリス・スペイン連合軍を包囲するための布陣を完了しました。その後、リシュリュー公爵は腹ごしらえのため、マヨルカ島のご飯屋さんに行き、肉の上にかかったドロッとしたソースに感激しました。
そして、このソースをパリで広めたと言われています。

また、7年戦争の当時はマオンのソースと呼ばれており、マヨネーズの名で広まるのはもう少し後のことです。

【マヨネーズの歴史】フランス国内で認知されてから商品化まで

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さて、
リシュリュー公爵はさっそくパリでこの「マオンのソース」(マヨネーズ)を国内で作らせました。

当時のレシピ本である『フランス人の料理人 The French Cook』にもアルマンドソース[卵黄を加えたホワイトソース]とアスピック[ブイヨンをゼラチンで固めたゼリー]とオイルで作られており、「氷で冷やしておく」必要があったと記載があります。

また、現在のスタイルである卵黄と食物油を使うソースは1819年に料理書に初めて現れたました。

ここからマヨネーズの名前に関して議論が始まります。

グリモー・ド・ラ・レニエールは著書、「饗応の手引き Manuel des amphitryons」(1808年)で「マヨネーズ」はフランス語ではないと記載があります。また、「マオネーズ」はスペイン語のマオンというフランスの食からはかけ離れていると却下しました。

そして、ヨーロッパ一のハムを生産する地域であるバヨンヌの町を想起できる「バヨネーズ」こそ正式名称だと主張しました。

グリモー・ド・ラ・レニエール自身、美食家で富裕層であり、「饗応の手引き Manuel des amphitryons」の書籍もブルジョアのための食事指南書です。

そのため、フランスの美食という観点からバヨネーズの主張をしていることが想像できます。

対して、カレームは「マニョネーズ magnonnaise」を主張しました。
もともと、火を使わずクリーミーでなめらかなソースを作るためにはひたすらかき混ぜるしかないという考えがありました。

そして、フランス語で「扱う、かき混ぜる」を意味する「マニエ manier」から上記を主張しました。

カレームは今で言う有名シェフの先駆けでフランス料理の発展に大きく貢献した人物です。
当時は「国王のシェフかつシェフの帝王」と呼ばれていました。

グリモー・ド・ラ・レニエールとは真逆で貧困層から立身出世した人物です。

そのため、料理の現場からマヨネーズに命名したのかもしれません。

こうして、マヨネーズは調味料としてフランスで認められました。
しかし、当時は手作業でひたすらかき混ぜるため、時間がかかりました。
そのため、高価な調味料として扱われていました。

【マヨネーズの歴史】安価に大量生産されるまで

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フランスで高価な調味料だったマヨネーズが製品化されるようになったのはある一つの発明があったからです。

それは「ミキサー」の登場です。

ミキサーの歴史にも少々触れると、1906年アメリカに渡ったイタリア人アンジェロ・ビタントニオ、もしくはStephan J. Poplawski氏の発明と言われています。

このミキサーの登場によってマヨネーズの生産性が高まり、一気に商品化されます。

マヨネーズが最初に商品化された地域はアメリカです。
1905年(明治38年)、リチャード·ヘルマンという人物がニューヨークデリで販売をスタートしました。
その後、1912年(大正元年)に大量生産化され「ヘルマンのブルーリボンマヨネーズ」という愛称で親しまれるようになりました。

このヘルマンのマヨネーズは今でもアメリカの定番のマヨネーズとして親しまれています。

もともとドイツ系移民であるリチャード・ヘルマンの奥様がマヨネーズを店頭で販売したところめちゃくちゃ人気が出ました。

そして、リチャード・ヘルマンはこの人気を信じて、工場を作り12年に大量生産を開始したのです。

ただ、ヘルマンのマヨネーズがNYなど東海岸で人気を画していたのに対して、西海岸のカリフォルニアでは「Best Foods」というブランドのマヨネーズが人気でした。

そして、最後にはヘルマンのマヨネーズはこのBest Foodsに買収されます。

こうして、アメリカでマヨネーズは大量生産され庶民にも人気となっていきます。

【マヨネーズの歴史】マヨネーズが日本で流行るまで

出典: https://netatopi.jp

20世紀に入り、マヨネーズは日本の一部の高級料理店では扱われるようになりました。
ただ、庶民からすると高級品で高嶺の花になりました。

そんな中ある一人の男がマヨネーズを庶民に流行らす活動を行います。

その男こそ、現キューピーの創業者である中島董一郎(なかじま とういちろう)です。
もともと彼は缶詰を専攻に学んでいました。その過程でアメリカに渡り、マヨネーズとの出会います。

中でも中島董一郎が感動したのは野菜やポテトサラダ、魚介、肉類などどんな料理にも合い、栄養価も高い点でした。

この衝撃的な出会いの後、中島董一郎は日本でマヨネーズを軸に事業を行うことを決意します。

ただ、最初から順風満帆ではありませんでした。
当時の日本ではまだ野菜を生で食べる週間はなく、漬物やおひたしにして食べる文化でした。そんな中高価なマヨネーズは初年度の売り上げはわずか600kgだったという。
一部の人には整髪料と間違われるくらい認知がありませんでした。

しかし、その後キューピーの宣伝広告高価もあり、マヨネーズは一気に庶民に広がっていきます。

キューピーの宣伝戦略として一貫したブランド戦略があります。
ポイントとして、キューピーマヨネーズのキューピーちゃんというキャラクターを発売当初から使用しています。

さらに独特の赤いキャップとボトルを使用することでビジュアルでも差別化を行っています。

中島董一郎氏は「キューピーらしさ」を一貫して消費者に伝えていく戦略をとりました。
そして、発売当初から新聞の突き出し30行などに広告を出稿したり、ビラを作ったりしました。

そして、消費者の潜在層の中にキューピーのイメージを蓄積していきました。

こうした戦略のもとキューピーマヨネーズが日本の市場の8割を占めるようになります。

今ではマヨネーズといえばキューピーという程日本の食卓に広まっていきました。

【マヨネーズの歴史】まとめ

いかがでしたでしょうか
今回はマヨネーズの歴史についてまとめさせていただきました。
ぜひ雑学として覚えていただければと存じます。

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